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選考理由  
  2006年度日本魚類学会賞(奨励賞および論文賞)の選考経緯と理由について

学会賞選考委員会委員長  後藤 晃

 
 本年5月13日に,国立科学博物館分館において学会賞選考委員会を開催し,公平かつ慎重な審議の結果,奨励賞候補には井上 潤氏(フロリダ大学)を,また論文賞候補には竹垣 毅・和田年史・兼森雄一・夏苅 豊 (2005)「有明海・八代海沿岸の河口干潟におけるムツゴロウの分布と生息密度」,およびT. Kitagawa, S-R, Jeon, E. Kitagawa, M. Yoshioka, M. Kashiwagi and T. Okazaki (2005) “Genetic relationships among the Japanese and Korean striated spine loach complex (Cobitidae: Cobitis) and their phylogenetic positions”を選考しました.以下に,各賞候補について,その審議経緯と選考理由を記します.

I. 奨励賞候補の選考について
 奨励賞には3名の応募があった.まず,これら3名の方々は,それぞれ奨励賞候補者となるに相応しい研究業績を有していることが確認された.その後,各応募者について,研究期間,年齢,国際誌に掲載された論文数,個人的研究かグループ研究であるのか,各専門分野の研究進展へのインパクトなどを基準に評価を行い,その結果,上記の井上潤氏が奨励賞候補として最も適していることが,委員全員の一致で決定された.

井上 潤氏(フロリダ大学)の選考理由
 井上潤氏は現在32歳で,フロリダ州立大学に在籍する日本学術振興会特別研究員である.彼の研究業績については,総論文数18篇,そのうち国際雑誌に掲載された論文は13篇,筆頭著者論文は10篇と,若手研究者としては十分な実績を有していると評価された.
 同氏は,大学院時代から一貫して,DNA配列データに基づく魚類の系統進化的研究に取り組んできた.そして,2001年には,ユニークな遺伝子配列の共有に着目して,ウナギ目魚類の中に従来の分類では予想すらされなかった単系統群の存在を見出すことに成功し,世界的に高い評価を得た(Inoue et al., 2001).その後,ミトコンドリアゲノム全長配列解析による魚類の高次系統解明を目標とするグループ研究に参画して,その中心的な一翼を担い,次々と斬新的で,レベルの高い研究論文を発表し続けている.
 それらの研究成果の中で特に魚類の進化研究に強いインパクトを与えた論文としては,Inoue et al. (2004, 2005)を挙げることができる.Inoue et al. (2004)では,従来レプトケファルス幼生の共有のみを根拠に統合されていたカライワシ類が,単系統群であることをmtDNA解析データに基づいて明らかにし,魚類学研究に大きなインパクトを与えた.また,Inoue et al. (2005)では,ミトコンドリアゲノム全長配列データを用いて,肉鰭類と条鰭類の分岐年代(450 Mya)を基準進化時間に設定し,条鰭類の系統樹を時間軸入りで初めて提示することに成功した.本論文では,さらに外群として用いたシーラカンス2種の分岐年代を推定するとともに,近年発見されたインドネシア・シーラカンスの起源にも言及しており,世界的に極めて高い評価を得ている.
 以上のように,井上氏の研究成果と業績は,魚類の高次系統研究に大きな変革をもたらす要因の一つとなったこと,および魚類学の進展に大きく貢献した点で高く評価され,同氏は魚類学会奨励賞候補として相応しい研究者であるとして,委員全員の一致で選考された.

II. 論文賞候補の選考について
 論文賞には自薦,他薦を併せて8件の応募がありました.これらの8篇の論文について,研究論文としての完成度,研究方法や研究内容の斬新さ,および各専門分野と魚類学の発展へのインパクトなどを基準に評価を行い,その結果,上記の著者たちによる2つの論文が論文賞候補として最適であると,委員全員の一致で決定されました.以下に,各論文が高く評価された理由を記します.
  1. 竹垣 毅・和田年史・兼森雄一・夏苅 豊 (2005)「有明海・八代海沿岸の河口干潟におけるムツゴロウの分布と生息密度」(魚類学雑誌52: 9-16)の選考理由
     本論文は,日本では有明海と八代海にのみ分布し,絶滅危惧II類に選定(環境省RDB)されているムツゴロウの両海沿岸の河口干潟における生息地を詳細に明らかにするとともに,その正確な推定が困難であった各干潟における本種の生息密度をレーザー距離計付き双眼鏡を用いることによって測定し,諫早湾を除く海域では100個体/100m2以上の高密度個体群を2地点で,また50個体/100m2以上の密度個体群を7地点で確認することに成功した.そして,過去の分布記録と生息密度の推定値との比較に基づいて,危機的な状況にあった1980年代中頃に較べて,現在は増加傾向にあることを明瞭に示すとともに,数年単位で分布域と生息密度が大きく変動するムツゴロウの保全・管理を進めるには,定期的な生息調査を実施して生息状況を正確に把握しておくことと同時に,必要に応じて個体数を回復させるための法制度の整備が必要であることを提唱している.
     以上のように,本論文は稀少種ムツゴロウの現在における分布と生息状況を明かにし,そのデータを基に本種の保全・管理のあり方を示した点で,優れた論文として高く評価された.また,論文としての完成度が高いことと併せて,干潟での魚類をはじめとする動物の生息密度をより正確に測定するための方法を開発した点でも高く評価され,論文賞候補に相応しい論文であるとして選考された.

  2. T. Kitagawa, S-R, Jeon, E. Kitagawa, M. Yoshioka, M. Kashiwagi and T. Okazaki (2005) “Genetic relationships among the Japanese and Korean striated spine loach complex (Cobitidae: Cobitis) and their phylogenetic positions”(Ichthyological Research 52: 111-122)の選考理由
      本英文論文は,分類学的位置や系統類縁関係が長い間混乱していた,アジア北東部から西日本に広く分布するスジシマドジョウ種群(Cobitis striata complex)を対象魚類として,ミトコンドリアDNA分析に基づいて,特に日本産・韓国産集団の系統類縁関係を解明することに焦点を当てて論じたものである.本論文によって明らかにされた主な内容は,1)日本と韓国の30地点から得られた標本をPCR-RFLP分析することにより,従来は単一種として扱われていた大陸産のCobitis lutheriの中に遺伝的に異なる2つの集団が存在すること,および2)チトクロームb領域(724 bp)の塩基配列を決定するとともに,DNAデータバンクに登録されているシマドジョウ属各種の塩基配列データを併用して系統解析を行うことによって,スジシマドジョウ種群がアジア北東部で起源した単系統群であること,また大陸産種と日本産種族はそれぞれ異なるクラスターに分かれることを示すことに成功した.本論文の意義としては,日本と朝鮮半島の間における淡水魚類の一つの典型的な分化パターンを明瞭に示したこと,および日本列島の淡水魚類相形成をより一層理解する上で重要な情報を与えたことにあると言え,魚類学の進展に大きく寄与する研究成果であると高く評価された.また,本論文は要点を的確にまとめており,その論文としての完成度が高いことに加え,これまで混乱してきた本種群の系統類縁関係を解き明かした点で,論文賞候補に相応しいものであるとして選考された.
2006年5月22日
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